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【人生で最も聴いたアルバム】第1位 The Smashing Pumpkins「Mellon Collie and the Infinite Sadness」

90s

人類ロック史上最高傑作爆誕

人生で最も聴いたアルバムが確定してしまうなんて、人生の終わりを意識せざるを得ないが、もうそろそろ決まってもおかしくないお年頃となりました。

結構お気に入りのアルバムって自分の中でコロコロ変わったりするけれど、この作品だけはいつ聴いても「やっぱすげぇなぁ」と感動する。

ちなみに、AppleのCMで「We Only Come Out at Night」が使用されていた。絶対担当者ワイと同世代やん。と思いつつ、ワイなら「Beautiful」か「Stumbleine」にするかなぁとか考えていました。

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芸術性と大衆性を極めた奇跡的なアルバム

さて、正直この「メロンコリー」はビートルズのどの作品よりも偉大だと本気で思っている。もちろんビートルズのほうが名作の数は多いが、スマパンはこの一作のみで語れば人類史上最高作を生み出したバンドなのだ。芸術性と大衆性の両方を極めた奇跡的なアルバムだということを改めてお伝えしたい。

洋楽痛であれば誰しも「何作も好きな作品があるアーティスト」と「1作品だけがとてつもなく好きなアーティスト」がいると思うが、スマパンはどちらかと言えば後者である。

パールジャムに関しては、1st〜3rdの3枚はどれも死ぬほど聴いたが、スマパンの場合は「Siamese Dream」という良作はあるものの、「メロンコリー」だけが飛び抜けて全身から流血するほど聴き倒したのである。

しかも、あくまで持論だが、「メロンコリー」だけ明らかに作風が異質なのだ。別人格が宿っていたんではないかというほどに。

スマパンのキャリアの中でも異質な存在感を放つ

Siamese Dream」ではどこか良い意味でも悪い意味でもインディーバンドのチープさが漂っていた。また「Adore」以降はビリーの声がどこか頼りなく、創造性も徐々に切れ味を失っていくのが感じられた(それでも「Machina」やZwanは好きなんだけど)。

「メロンコリー」だけが「絵本を開いたらめちゃくちゃ緻密に描かれたグロテスクだけど美しい世界がそこにあった感」を体現しているのだ。

楽曲のバラエティの振り切れ方もぶっ飛んでいて、「Jellybelly」のようなハイスピードヘヴィロックから「Beautiful」のような童謡ソングまでカバーしていて、はたまた「1979」ではハイセンスで時代の先をいくポップを奏でる。次から次へとメロディが湧き出ていることがわかる。

いちアーティストが世界観を一貫しながら、多彩な楽曲を最高品質でまとめたアルバムであり、さらに遊びの要素もある。 このクオリティとボリュームとバラエティに匹敵する作品があったら教えてほしい。ホント狂ってますわ。

常人の理解を超える創造性

つまり、この「メロンコリー」期の楽曲は、わたしの理解を超えるほどの表現を備えているという事なのだ。対して、メロンコリー以降の楽曲って、良い曲ももちろんたくさんあるんだけど、想像の範囲内なのよ。

「あーなるほどねこうきたね、イイね!」っていう具合に。スマパン最後の名曲だと思っている「Try, Try, Try」(「Machina」収録)はかなり全盛期の創造性に近づいていたけれど、それでも常識の範囲内における傑作なのだ。

The Smashing Pumpkins – Try, Try, Try

それに比べて「メロンコリー」の楽曲群は精神世界のヤバいところに触れてしまっているのよ。例えば「To Forgive」のアルペジオに耳を澄ませてほしい。あのコード感、もう黄泉の世界のサウンドやろ。イイ曲だね、ではすまされない底の見えない深み。あんなメロディほかに誰が書けんねんと。大サビで絶対天国いってるやん。危険だ。あの感覚は超危険。

そんな常人の理解を超えた楽曲を同時期に書きまくって収まりきらないから二枚組になった超大作 「Mellon Collie  and the Infinite Sadness」がわたしの人生で最も聴いた作品なのです。

※この作品の唯一の弱点が「音圧の弱さ」だったが、現在はデラックス版としてリマスターされており、それがかなりカバーされていると感じる。もはや向かうところ敵なし…と思ったが、敵がまだいた。「日本版の曲名カタカナ問題」である。Appleさん、これだけは絶対やっちゃダメやで。いくら日本人が英語苦手やゆーても曲名くらい読めるやん。「曲名カタカナ問題」はアーティストの世界観をぶち壊すほどの威力あるからホントやめてほしいわ…アーティスト名も英語表記で統一してほしいわ。

これはいかんでしょ…カタカナカコ悪い

というわけで、前サイトで全力で書いたレビューをお届けします! ※第三章とありますが、一章と二章を読んでいなくても関係ありませんので気にしないでください笑

第三章〜大魔王の帰還〜Return Of The Great Satan〜

前回までのあらすじ  メタリックボーイズと手を組んだロッキンボーイズは、オシャレボーイズの勢力拡大を食い止めようとするも、オシャレ雑誌がオシャレなロックを紹介するもんだから、もういてもたってもいられなくなりヤキモキしていた。ロッキンボーイズ代表のロリング君は、新宿と渋谷のタワーレコード(通称「二つの塔」)リニューアルに伴い、「打倒オシャレボーイズ」と女子ベースプレイヤーの増加にむけ決意をあらたにしたのだった。

ロリング君は悩んでいた。先日、家に誰もいないと思って、ロックを大音量でかけながらエアギターボーカルを全力でしていたところを母親に見られたからではない。いや、それも少しはある。まあ正確には悩みの半分くらいはそのせいかもしれない。うん、もういいわ、ほとんどそれのせいだわ

オシャレボーイズからクラブイベントの招待状が届く

それはさておき、実は先日、オシャレボーイズのリーダー「アイウェア坂崎」氏から招待状が届いたのだ。内容はこうだ。「かれおつー☆今度クラブでイベントするからロリング君も来るっちゃ☆女の子たちはゲキかわゆす!」むう…?これはどういうことだ…対立しているはずのオシャレボーイズのリーダーから招待状が届くなんて…(実際は普段相手にすらされていない)

女の子たちがゲキかわゆす☆なのは断じて関係ないが、相手の手の内を探るためにもその「クラブ」とやらに潜入するほうが得策か。行くにしても単独行動は危険だ。しかも全力でこちらもオシャレ(ベースはユニクロ)をキメねばならない。目には目をである。ここは強力な助っ人「アセアンヌ古河」を召喚しよう。いくとなったらこれは戦争じゃ!!以下、実話である

アセアンヌ古河とわたし(服がダサい)

アセアンヌ古河と私は高校時代からの友人で、深いレベル(笑)で洋楽ロックの話ができる数少ない仲間の一人だった。洋楽ロックこそが一番クールだと信じて疑わない私たち。

服装もダサく(ここが難しいところだが、当人たちは服装がダサいとはまったく思っておらず、むしろお金はかけないがこだわりのある服装をしているつもりだった。グランジの影響もあったのかもしれない。今思えばダサい)当然女性関係には恵まれず、またその間違いに気付くこともなく二人ともひたすらCDを買い続けていた

ビジュアルボーイズとの遭遇

週末、アセアンヌ古河と私は夜の繁華街で待ち合わせし、徒歩で会場へ向かった。会場は雑居ビルの二階で、入り口には髪の毛からツマ先まで色んな部分がツンツンしたビジュアル系の男性が微笑を浮かべながら立っていた。ピッタリとしたスーツでキマっている。

それに対し、こちらはネルシャツ&色落ちしたジーパンおよび赤ジャージ上&破れたジーパンである。ロリ「おい、アセアンヌ…どうする…?」アセ「どうするって…行くしかないやろ…チケット一枚三千円で買ってるんやから…」二人の心はすでに折れかかっている。

会場内であんなビジュアル系に囲まれたらとても危険だ。この界隈では近頃オシャレボーイズと協定を結んだ「ビジュアルボーイズ」という種族が幅をきかせているようだ。ヤツらは手を組んでイベントを開催し、資金と救護班(女子)を集めているという話だ。社交性のあるヤツらならではの戦法である。

居場所を失うグランジ風ファッションのわたし達

我々は意を決して中に入った。店内は薄暗いがミラーボールの光が壁と床の上を走る。大音量でダイアナ・キング(!)の曲が流れる。しかもホスト的男子とキャバ嬢的女子だらけである。場違い感が半端ない。

とりあえずワンドリンク制ということなので、私はいつものジントニック」を注文。※私は二十歳以降、結構な間「ジントニックが好きなんだよね」キャラを通したが、実はそれしか知らなかっただけということは言うまでもない。

2人とも口には出さなかったが、次第に居心地の悪さを感じ始めた。(良くいえば)グランジ風ファッションなんて我々しかいない。

一方、ステージらしきスペースでは、ビジュアルボーイズのメンバーがダンスの振り付けを説明しだした。それにならって一心不乱に同じ動きをする観客。しかもその振り付けが幼稚園のお遊戯そのもの。振り付けの根拠は洋楽歌詞の空耳。例えば「so on」という歌詞をを「騒音」と解釈し、「耳を塞ぐ」振り付けをする、みたいな。恥ずかしげ気もなく繰り広げられる光景。我々はあまりの文化の違いに言葉を失った。

そしてなぜ「アイウェア坂崎」は私をこのイベントに招待したのか…答えがはっきりした。種族間交流?違う。うん、チケットノルマの頭数だわ。

ギャル風のギャルから逆ナン!?

様々な感情が錯綜し、その場を一歩も動けなくなった我々に接触を計ろうとする者が現れた。それがカンナだった。カンナはオシャレボーイズの救護班(女子)の一員で、ロングヘアにギャル風のメイクをしたギャル系のギャルだった。

この後なんかイベントあんの?」カンナは我々にそう声をかけてきた。何故我々なんかに声をかけたのか。あきらかにおかしい。今でいうところのEXILEのメンバーの中に売れない若手芸人が2人いるようなものだ。しかし当時はウブ&実は自分たちがイケてないとは思っていなかった我々は「こ、これが逆ナンというやつか!」と解釈した。我々の中でロックがEXILEに勝利した瞬間だった(EXILEさんすみません)。

ここはロッキンボーイズ代表としてロッキンな返しをしなければいけない…女子に「ロックを聴いているオトコ」の生き様を見せつけるチャンスだ…と策を練っていると、アセアンヌ古河が何を思ったか「さぁちょっとわかんないですねぇ」と即座にひねりのない返答をした。

カンナは「ふぅん」とだけつぶやき、その場を立ち去ってしまった。ヒップホップのノリでクールに返答したほうがウケがいいかどうかを考えていた私は、心の中でキラービーのごとく「バカヤロゥ♩コノヤロゥ!!」とアセアンヌに訴えた。※ちなみにカンナと名前を付けていながら今後彼女がこの話に登場することはない。「えぇ!ジョン・メイヤーをコーラスだけでフィーチャリングしちゃうの!?」的な贅沢感を味わってほしい。

終わりなき悲しみとともに会場を去った

実は心の片隅(の大部分)で「女子との出会い」を期待していた我々は、ここですべてのモチベーションを失い、会場を後にした。今回のオシャレボーイズとの戦争は完全に我々の敗北である。敗因は心のブレだ。クラブとかいったら俺達でもモテちゃうんじゃないの?という期待がなかったと言えばウソになる。もう我々が生き残る(モテる)道はロックしかない。そう確信した。

当時アセアンヌ古河と私はバンドを組んでいて、The Smashing Pumpkinsのコピーをしていた。彼らは我々にとって最も刺激的でクールなバンドだった。そんなクールなバンドをコピーしている俺たちはオシャレボーイズなんかよりもカッコイイ。それだけが心の拠り所だった。

Jellybelly」を完コピすれば救護班(女子)の大半がこちらへ流れてくるはずだ。あらためて大魔王ビリー・コーガン様に忠誠を誓った20歳の夏。まあ結局「Jellybelly」を弾けるようにはならなかったけれども。

百人の救護班(女子)よりも一人のダーシー

その後のロッキンボーイズ全体会議で我々の象徴としてThe Smashing Pumpkinsの「Mellon Collie And The Infinite Sadness」が選ばれた。

このアルバムは例えるならピーター・ジャクソン監督の名画「ロードオブザリング」級のスケールをこの作品だけで体現している。これこそが我々の生きる道しるべであり、百人の救護班(女子)よりも、一人のダーシーを見つけることを心に誓ったのである。

私は先日のクラブでの壮絶なバトルの最中に、ロッキンボーイズとしての信念がぶれたことをメンバーに謝罪した。そして俺たちの「終わりなき悲しみ」と闘い続け、不可能を可能にすることを宣言した。

こうして一年戦争はひとまず終結した。敗北の賠償として、我々の拠点であった大学のラウンジのスペースは隅っこに追いやられ、オシャレボーイズに大部分を明け渡すこととなった。だが、ロッキンボーイズの戦いはまだ始まったばかりだ。

~Fin~

ロック人生における最高傑作をレビュー!

ついにこの時が来てしまいましたね。このアルバムをレビューする時はこのサイトを畳む時だと思っていました。しかし2012年の年末企画でいまだにこのアルバムが熱烈な指示を受けていたことに感激し、レビューするなら今しかないと思いたったわけですよ。

The Smashing Pumpkinsの「Mellon Collie And The Infinite Sadness」(以下「メロンコリー」)。私のロック人生における最高傑作。90年代どころか、ロックというジャンル史上これを超える作品はないと本気で思う。あるなら教えて欲しいくらいである。ビートルズだろうがストーンズだろうが、ニルヴァーナ、オアシス、レディオヘッド、全てひっくるめても「メロンコリー」の熱量に太刀打ちできるアルバムはない。

芸術と呼びたくなる楽曲の乱れ打ち

まず、恐るべき楽曲のクオリティ。「捨て曲ほぼ無し」のアルバムであれば2年に一枚くらいは見つかるものだ。しかし、「メロンコリー」にはこれぞ芸術と呼びたくなる、こちらの想像を超えた楽曲が乱れ打ちされている。

どこがどうなったら全曲に共通した世界観を持ちながら、イデア界のメロディを召喚し、ポップバンドとして成立できるのか。こんな出会いは一生に一度だ。この時のビリーは神、いや、大魔王である。「かがやくいき」や「いてつくはどう」の一つや二つなら出せたんじゃないか。

全ロックファンが結婚式で流すべき「Tonight,Tonight」

この奇跡の作品は、ピアノインスト曲「Mellon Collie And The Infinite Sadness」で始まる。美しい。「オープニングのインスト曲反対派」の私でもこれは認めざるを得ない。ヘンテコなSEでゴマかす雰囲気系のオープニングがはびこる中、それ単体で映画音楽のような存在感を放つビリーの作曲能力ったら。

そして「ロッキンボーイズ結婚式公式新郎新婦退場曲」として認定された「Tonight,Tonight」ですよ。ヘヴィロックバンドなのにストリングス全開の流麗なアレンジ。ギターのアルペジオ。「Impossible is possible tonight」というステキ過ぎる歌詞。中世のおとぎ話のようなPV。あぁロックファンで良かった…今後結婚式を挙げるロッキンボーイズな皆さんは、奥さんをなんとか説得してこの曲を退場曲として採用するように。

The Smashing Pumpkins – Tonight, Tonight (Official Video)

ジミーの高速ドラミングを味わえ!「Jellybelly」

ビリーの凄いところはこの流れでスマパン最強のアッパーチューン「Jellybelly」を持ってくるセンスだ。ここに配置することでビリーは釘を刺しているのだ。「ハンパなアルバムじゃねぇぞ」と。

しかもこの曲の主役はポップなリフやメロディではなく、ジミーのドラミングである。ジミーのプレイを味わうために楽曲がある。そう、まるで国内最高級の醤油を最も美味しく味わうことを考えた結果、朝3時起きで築地へマグロを競り落としにいくようなものである(?)。ラスト20秒の高速タムロールを聴けばわかる。

[HQ] The Smashing Pumpkins – Jellybelly

暴力的でカンカンいう独創的なリフ「Zero」

お次は誰もがビリーのTシャツに憧れた「Zero」である。聴いてよこの暴力的なリフ。始めてビリーが弾いている映像をみて私は唖然とした。なんだこのプレイは。いやね、リフの後半の「カンカンカン」ていう音はどうやって弾いているのかずっと疑問だったんですよ。

正解はミュートさせながら指を滑らせてピッキングしているんですね。ビリーはこのノイズ的な音をリフにしてしまうんですよ。しかも「Zero」はシングルカットされている。アルバムは初登場全米No.1。すげぇよアメリカ。

もはやどれだけスペースがあっても語り尽くせないことはわかっていた。このレビューを書き終えることはできるのか…

The Smashing Pumpkins – Zero

Amaj7のマジック「Here is No Why」

休む間もなく「Here Is No Why」である。これまたイントロのギターの響きがずっと不思議だった。独特の雰囲気をもつ響だ。調べてみるとなんのことはない、ただのAmaj7。しかしこのヘヴィなギターでオープンコードのAmaj7を鳴らすなんて聴いたことない。それだけで天才と呼んでもよい。しかもサビの物哀しいキャッチーさと変拍子である。さらに歌とリフの絡みが絶妙なのだ。この曲を聴くとつくづくビリーは希代のリフメイカーだと思う。

[HQ] The Smashing Pumpkins – Here Is No Why

前人未到の表現へ「To Forgive」

スマパンの隠れた(?)名曲部門で上位に食い込むのが「To Forgive」である。しつこいがこの曲のコード感が凄い。発明といってよいだろう。Gで始まるが、メジャーなのかマイナーなのかもはや判別不能。優しくて不気味で美しいという前人未到の表現に到達している。囁くような歌メロも完璧で、ラストにかけての「Nothing is Important to me」という叫びで死ねる。

The Smashing Pumpkins – TO FORGIVE (Live HD)

あかん、一枚目でこのボリュームでは二枚目にいくまでに誌面をオーバーしてしまう…編集部にイヤミを言われながらも、「An Ode To No One」(激しいギターソロ、めちゃくちゃ好き!!)や「Muzzle」を語りたいがここはグッとこらえて「Galapogos」である。

美メロ部門第一位「Galapogos」

スマパンドラマティック美メロ部門で第一位に認定された名曲(ローリングサンダーアウォード調べ)。「メロンコリー」にはジャケットからもうかがえるように、海をテーマにした楽曲が複数収録されている。「Galapogos」はその中でも「静かな夜の海」をイメージを彷彿とさせる。そして3分27秒からのドラマティックメロディで昇天できる。

The Smashing Pumpkins – Galapogos (With Lyrics)

一枚目だけですでに歴史的名盤である。だが、音楽の女神を見方につけた大魔王ビリー・コーガンはこれだけでは終わらない。

二枚目のオープニング「Where Boys Fear To Tread」でいきなり天才リフメイカーの本領発揮きたー・゜・(ノД`)・゜・。寸止めプレイからの地を這う重低音リフである。しかもサビがあるのかわからない構成ながら、リフのパワーで最後まで聴かせてしまう。

そんでもって感情を放出する楽曲「Bodies」に続けるという粋な構成。厨二病全開の歌詞「Love is suicide」や歪んだギターのオクターブ奏法で分厚い壁、一発で覚えてしまうシンプルなメロディ、ラストサビで一オクターブ上げてシャウトなど結構ベタな要素がある。実はビリーはお遊びで作ったのかもしれない。しかし、そういう何も考えないで作ったものは得てして名曲であることが多い。「Bodies」も然り。これはスマパン流のロックンロールだ。

不安と憂鬱と希望を見事に描いた神曲「1979」

Thirty-Three」「In The Arms Of Sleep」という良曲を差し置いても語らなければいけない曲がある。世界中のキッズをトリコにした神曲「1979」だ。ループのようなシンプルなビートと数学的なギタープレイ優しいボーカルが私はたまらなく好きだ。さらに不思議なSE熱くもなく、冷めてもいない空気感に拍車をかける。

The Smashing Pumpkins – 1979 (Official Video)

当時の若者の「不安と憂鬱と希望」をこれ以上に表現した曲があるだろうか。ギターを歪ませるわけでもなく、アコースティックなわけでもない、エレクトリックのクリーントーンで奏でてしまうところがうまい(当時のライブは二部構成で、前半はアコースティック、後半は轟音ギターでプレイしていた。「1979」は前半にアコースティックバージョンで演奏されており、筆者はそちらも愛してやまないのだ)。

しかも歌詞のセンスの良さが異常である。どこを切り取っても表現が詩的で美しい。「double cross the vacant and the bore」「Morphine city slipping’ dues down to see」なんて語感も含めて天才過ぎる。この曲を聴くと、ネイティブスピーカーでない限り英語の歌詞は書くべきはないとあらためて思う。

[HQ] The Smashing Pumpkins – 1979

二枚目はアコースティックサイドと位置づけられているが、「Tales Of Scorched Earth」や「X.Y.U」は超絶爆音ナンバーであり、私の大好物。しかしここはもう一度グッとこらえて「Beautiful」である。アメリカの童謡かと思うほど人懐こいメロディ。しかしよく聴いてみると、一番と二番のサビのメロディを変えてくる高等テクが使われている。ダーシーとのデュエットという点もポイントが高い。気づいたら口ずさんでしまう曲No.1だ。

終盤に流れてくる「By Starlight」がエンディング感を盛り上げる。長かった旅ももうすぐ終わりだ。ゆったりと幻想的なサウンドは、「Jellbelly」や「Zero」と同じバンドの曲とは思えない。そしてバンドメンバー全員で順番に歌う「Farewell and Good Night」でアルバムは幕を閉じる。イロモノ的な曲かと思いきや、メロディの出来は平均点以上だ。

ザ・ローリングサンダーレビュー史上最長のレビューとなってしまったが、どうにか語り終えることができた。大魔王ビリー・コーガンの全盛期の凄さが少しでも伝わっただろうか。リマスターもリリースされたことだし、未聴の方は是非購入してほしい。

そもそも当サイトを始めた際に、「メロンコリー」の素晴らしさをどうやって伝えようかが私の中のテーマだった。最大の目的を果たしてしまった私に今後もレビューが書けるのか…それくらいの達成感と喪失感である。感無量!!

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