from 「Digital Ash In a Digital urn」(2005)
音楽が聴ける幸せを噛みしめる
「ローリングサンダーレビュー」と「ローリングサンダーダイアリー」で、ロリング君から教えてもらった数えきれない程の名盤と名曲の数々は私の宝物になっています!
ありがとうございます!ロリング君への感謝の気持ちを込めて、僕もレビュー(デビュー)します!
「目が見えること」が当たり前の日々
ある本にこう書いてあった。
『生まれてからずっと目が見えない人は、「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」「「結婚した相手の顔を見てみたい」「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。
私たちは、0.1秒どころが、生まれてこのかた目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。現状に対して不満ばかり口にしています』
100兆円貰えるとしても視力を選ぶ
僕も目が見えることに感謝したことが無い人間の1人だ。
視力を失う代わりに100億円、いや100兆円もらえるとしても、
僕は1秒たりとも躊躇せずに目が見える方を選ぶ。ほとんどの方が同じ選択をするのではないだろうか。
それにも関わらず「目が見えることは、100兆円を手に入れることなんかより何100倍も幸せだ!お父さん、お母さん、ありがとうございます!」と感謝が出来ない。多分、目が見えることが「当たり前」だと思っているからだろう。
耳が聴こえなくなったら…と想像してみても、やっぱり僕には耳が聞こえていることにも感謝が出来ない。
それじゃあ耳が聞こえなくなって、全ての音楽が聴こえなくなったら…。
ブライトアイズ、当たり前じゃない存在
僕の大好きな曲、ブライトアイズの「I Believe In Symmetry」をかけてみる。
コナー・オバーストの震えているのに凛とした声が、当たり前じゃない。
目まぐるしいストーリー展開が、当たり前じゃない。
跳ねて歌い続けるドラムが、当たり前じゃない。
デジタルの通底音を切り裂いて舞い上がるストリングスが、当たり前じゃない。
この曲の中にある全てが、全然当たり前じゃない。
生きている全ての瞬間に感謝する
この曲が聴こえることに、心から感謝出来る。ロリング君から教えてもらった名曲の数々が聴こえることに、心から感謝出来る。
この感謝の気持ちを、生きている全ての瞬間に感じ続けたい。
見えること、聞こえること、話せること、食べられること、歩けること、何より生きていることの幸せを噛みしめ続けたい。
「音楽が聴こえることに感謝出来るんやったら、それは実現可能やって!」という声がどこからか聴こえてきた、そんな夏の午後でした。
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