from 「Another Side Of Bob Dylan 」(1964)
落ち込んだらボブ・ディラン
人生のドン底でも聴ける音楽とは何か。たまにアーティストへのインタビューなどでそういう話を見かける。例えば山下達郎氏はカーティス・メイフィールドの「There Is No Place Like America Today」を挙げていた。
人間、本当に追い詰められたら音楽を聴こうなんて気にならない。わたしの場合も仕事が繁忙期を迎え、強いプレッシャーにさらされると音楽を聴かなくなる時期がある。エンターテインメントを楽しめない精神状態は良くなくて、これが続くと多分鬱病になると思われる。音楽を楽しめるかどうかというのは精神が健全かどうかの重要なバロメーターなのだ。
そんな中、ドン底の精神状態でも聴くに値する音楽が数は少ないがある。R.E.Mの「Everybody Hurts」やThe Beatlesの「Let It Be」を聴いて心が楽になった人は多いだろう。そういった単なるエンターテインメントを超えた音楽を知っていたら、人生がちょっとだけ生きやすくなるではないか。
まあ色々考えましたよ。ブルース・スプリングスティーンなのかU2なのか。でもね、本当に落ち込んだ時に聴ける音楽ってのはボブ・ディランだってことに気づいたのよ。特にフォーク期のディランがいいのよ。
フォーク期におけるディランの傑作といえば「The Time They’re Changing」と「Another Side Of Bob Dylan」だと思っているのだが、特に「Another Side Of〜」の評価が一般的に低いんじゃないか。もしくはあんまり注目されてないんじゃないか。
アメリカで演奏が集中力に欠けるとかなんとかって批評されてたけど、いやいやいや待て待て待てこんなメロディアスで自由で開放的なディラン、貴重やろ。あの有名な「The Free Wheelin’ Bob Dylan」なんか足元にもおよびまへんで。まあ、それはええわ。ワイにとってはめっちゃ好きなアルバムやっちゅーことなんやわ。
そんで、ディランはなぜドン底でも聴けるのか。それは「スケールがデカい」からである。スタジアム級とかそういう意味のスケールではない。「おおらかさ」が半端ないのである。すべて許してくれる。そう、ディランは全て許してくれるのだ。応援するのではない。「そんなんどうでもええやん」というスタンスなのだ。
ディランの歌を聴くと「ワイの悩みなんてちっぽけだなぁ」と思える。「All I Really Want To Do」なんて極上のメロディを持っていながら最後らへんで笑ってしまうというおおらかさ。多分、ディランはこの曲が気に入っていたが、歌い上げるメロディがちょっと気恥ずかしかったのではないか。だからあえてふざけた演奏にしたのだ。きっと。そんな人間らしさにもまた救われる。
詩を書いて、アコギでじゃかじゃかやりながら歌に乗せる。それだけでええんや。そんな難しいこと考えなくてもええんやで。歌メロなんか誰かの曲に似ててもかめへんやん。自分の言いたいことを言うのが大事。
人生はシンプルだということをフォーク期のディランは教えてくれる。Don’t think twice, It’s Alright.
Apple Music: Bob Dylan 「All I Really Want To Do」
オマケ:ディランのベビー服発見…
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